03


形代といっても昼が普通に過ごすには特に支障もなく、昼の体は薄い膜に包まれたような感じであった。
あれから数分で用意された、形代と呼ばれる、人形に切られた紙に昼の魂魄は移されていた。

魂魄が入った途端形代の輪郭は溶け、寸分違わずに昼の体を形作った。
生身と何ら変わりない掌を、昼はぐっぱっと開いたり握ったりしてその感触を確かめる。

「どうですかな?」

当初より幾分か和らいだ昼の様子に、晴明も柔和な笑みを浮かべて対応する。

「あっ…大丈夫です。ありがとうございます」

「うむ。それで体の方じゃが…」

六壬式盤(りくじんちょくばん)と呼ばれる陰陽師であれば誰でも持っている占具に視線を落とし、晴明はこれまでの表情を一変させた。

「どうにも芳しくないのぅ」

顎に手をあて些か難しい表情を浮かべた晴明に、それまで昼の隣で大人しく成り行きを見守っていた昌浩が口を挟む。

「じい様、それ、どういう意味ですか」

「何かが邪魔をしておってはっきりと見えぬのじゃ。ただ、この都にあるのは確かなのじゃが」

「みやこ…」

薄々気になっていたことが不意に昼の頭の中で繋がる。
目の前にいる安倍 晴明といい、この邸の何もかもが古風な事といい、ここは昼の知る浮世絵町ではない。それ以上に、晴明が生存している時点でここは昼の生きている時では…

さぁっと青ざめた昼に昌浩が慌てる。

「リクオくん!でもほら、体は都にあるってだけでも分かったから!捜せば…!」

「捜すったって、都は広いぞ〜」

気遣う昌浩の傍らで物の怪が冷静に突っ込みを入れる。けれど、昼の耳には入らず昌浩の言葉を反芻させていた昼ははっとして言った。

「…そうだね。捜せばいいんだ」

(きっとそこに夜は居る。確信はないけどそんな気がする。…僕は一人じゃない)

「そうだよ!俺も一緒に捜すから」

隣からかけられた力強い言葉に昼は小さく微笑む。

「うん、ありがとう昌浩くん」

話が一段落したのを認めて、そのやり取りを微笑ましそうに眺めていた晴明が口を開く。

「どちらにしろ今日はもう遅い。捜すのならば明日にしなさい。昌浩は明日も出仕じゃろう」

「うっ…はい」

出仕という言葉に昼は首を傾げたが、何となくその意味は分かった。
どこかに出掛ける予定があるのだろう。

「でも、じい様…リクオくんは…」

「まだ体調が万全とはいえぬからな。リクオ殿には邸にて休んでいてもらいましょう」

ちらと向けられた視線に昼は了承の意を込めて頷き返した。



◇◆◇



ざわざわと空気が震える。
半分に欠けた月は薄雲に遮られ闇が地上に落ちる。

「おいっ、あれ何だ?」
「どうした?んん?なんだ、なんだぁ…?」
「ものすごい妖気だぞ」

ぶわりと辺りに広がった妖気に雑鬼たちは体を震わせ、素早く塀や物陰に身を隠す。

「ど、どうする?俺たちじゃ勝てないぞ」
「そんなことより、アイツこっち来るぞ!」
「わわっ!!俺たちなんか喰っても美味しくないぞっ!」

ぎゃぁぎゃぁ騒ぐ雑鬼たちに、薄雲から覗いた月明かりが射し込む。

「喰う?何言ってんだ。それより訊きてぇことがある。…ここは何処だ?」

月明かりを背に受けた銀の髪が輝く。雑鬼たちを見下ろす金の瞳がすと細められた。

「どこって…なぁ?」
「お、おぉ…」
「ここは羅城門の近くだ」

びくびくしながらも答えた雑鬼たちに独り言が返る。

「羅城門?京都か…何だってこんなとこに」

「きょうと?なんだ変な言い方だなぁ。ここは平安京だぞ」
「うんうん」
「お前、この辺の奴じゃないな。どこから来たんだ?」

危険はないと判断したのか、雑鬼たちは従来の人懐っこさを発揮してわらわらと口を開く。
いきなりころりと態度を一変させた雑鬼たちに、問いかけた男、夜は目をしばたたかせた。

「どこって…」

言いかけて夜は口をつぐむ。

「どうしたぁ?」
「もしかして迷子か?」
「都は広いからなぁ」

勝手に話を進める雑鬼たちをよそに夜は一人思考の海に沈み、そっと胸元に右手をあてた。

(……昼?…昼っ!――っ、何だこれは!?昼の存在が身の内に無い。何故、どういうことだこれは!)

「行くとこがないなら今夜は俺たちのねぐらに来いよ」
「お前強そうだし、歓迎するぜ」

ぴょんぴょんと跳ねる雑鬼たちに視線を戻し、それよりもと夜は些か厳しい口調で問いを重ねた。

「ここが平安京だって言ったな。陰陽師の活躍してる時代か?」

「ん?そうだぞ」
「おー、そうそう。俺たちさっき孫を潰してきたんだぜ」
「晴明の孫なー」

「っ、ここに安倍 晴明が居るのか!?」

ひたりと強くなった夜を取り巻く妖気に、雑鬼たちは一瞬体を震わせる。

「な、なんだよ。そう怖い顔するなよー」
「晴明は良い奴だぞ。俺たち雑鬼を無闇に祓ったりしないしなー」
「孫もな。頼みごと聞いてくれるし、良い奴だぞ」

本人の談とは別に、雑鬼たちは自分たちが感じるがままに夜にそう告げた。

「良い奴?安倍 晴明が?」

どういうことだと夜は金の双眸を細める。
これは、この状況は、奴良組の大敵である晴明が作り出したものではないのか。

(…昼。お前は今どこにいる?)

西へと沈み行く欠けた月に背を押され、夜は疑問を抱きながらも一晩雑鬼たちと共に過ごすこととなる。

「そうだ。強い妖、お前名前は?」
「俺たちはなぁ…」

「…夜。俺は夜だ」

夜明けがすぐそこまで迫って来ていた。








夜が明けて翌日。
自分でも気付かぬほど体は疲れていたのか昼が目を覚ました時には既に陽は東の空に昇っていた。

「人の家でこれはないよね…」

はぁ…と昼はあてがわれた部屋の茵で上体を起こし溜め息を吐いた。
少しばかり開かれた蔀戸(しとみど)からは明るい光が射し込んでいる。

昼は茵から抜け出すと乱れていた着物の袷を直し、これからどうしたものかと床に座り込んだ。
御簾の下ろされた外側には昼が目を覚ました時から何かがいるようで、今も気配を感じる。

(これってやっぱり監視されてるのかな?晴明さんの背後にいた人も僕を睨んでたし)

そう思うと少し胸が重くなる。けれども、それは仕方の無いことで。警戒を緩めたとはいえ自分もまだ安倍 晴明を疑ってはいた。

「…とにかく…捜さなきゃ」

ここで座って待っていても事態は変わらないと昼は立ち上がる。
邸の中を勝手に動き回るのは気が引けたが、一言告げてから外に出た方が良いだろうと昼はまず昌浩を探す事にして部屋から一歩足を踏み出した。

途端、首筋にあてられる刃。

「――っ」

ひたりと、冴えざえと研ぎ澄まされた負の感情が昼の身に突き付けられる。

「貴様、何者だ。昨晩、貴様がこの邸に来てからというもの相次いで妖共がこの邸に近付いてきている。目的は何だ?晴明の命か?…貴様が人であろうと隠し立てするならば容赦はせん」

横合いから喉元に突き付けられた大鎌が昼の命を狩らんと狙う。

「僕は…何も…」

いきなり叩きつけられた殺意に昼は喉を震わせた。

「シラを切るつもりか」

「……っ」

くっと僅かに引かれた鎌が昼の形代である器を破壊しようと一筋の傷を作る。そこへ、驚愕した声がとんだ。

「青龍!何をしてるんだ!」

「チッ…邪魔が入ったか」

その声に忌々しいと舌打ちし、昼の首に添えられていた大鎌共々青龍の姿が一瞬にして掻き消える。

「リクオくん、大丈夫!?」

そして、駆け寄ってきた昌浩に膝から崩れ落ちそうになった昼は支えられた。

「…ぁ、ごめ…」

「顔色真っ青だよ!?もしかして青龍に何か言われた?」

「せい…りゅう?今の青い人…?」

のろのろと、確認するように聞き返した昼に物の怪の鋭い声が重なる。

「昌浩っ、ソイツから離れろ!」

「もっくん?急にどうし…」

昌浩を庇うように、昼と昌浩の間に白い体が割り込み、威嚇するように尖った牙を見せて昼を睨み据えた。

「お前、初めから俺達が見えていたな!なのに何故見えない振りをしていた!」

「えっ、そうなの?」

「現に今コイツは青龍が見えていた。…目的は何だ?」

ぎらりと紅い双眸が光る。

昼は体を支えてくれた昌浩から少しばかり離れると、物の怪に視線を移してふと力なく笑った。

「信じてもらえないと思うけど、本当に何もないんだ。逆に僕が聞きたいぐらいで。…でも、安心して。僕はもうここから出て行くから」

君の大事な昌浩くんを傷付けたりはしない。

飛び出すようにして出てきた物の怪に昼はそう告げて、昌浩にはお礼の言葉を返す。

「何も恩返しできなくてごめん。それから助けてくれて、泊めてくれてありがとう」

どちらにしろ昼はここを出て行くつもりであったし、それが今か後かの話だけ。

「お前…」

「待ってリクオくん!」

感情の機微には悟い物の怪は昼の顔を見て開いた口を閉ざす。今にも駆け出してってしまいそうな昼の腕を昌浩は慌てて掴んだ。

「出て行くって、行く宛もないんでしょ?それなのに…」

「…身体を見つければ何とかなると思う。だから心配しないで」

ふわりと、最悪の現状を理解した上で笑いかけてきた昼に昌浩はぐっと言葉を詰まらせる。

「じゃ、じゃぁ、今日だけでも。俺も一緒にリクオくんの身体捜すから」

「え、でも…」

ちらと昼の視線は険しい表情を浮かべた物の怪に注がれる。

「もっくん」

「……今日だけだぞ。もし昌浩に妙な真似をしてみろ。ただじゃおかないからな」

ふいっと昼から顔を反らした物の怪に、その想いを知るが故に昌浩は苦笑するしかなかった。

「お許しも出たし、さぁ行こうか」

「…うん。ありがとう」

昌浩に案内されて安倍家の屋敷を出る。
敷居をくぐった後で昼は後ろから何かが着いてきたのに気付いて背後を振り返った。

「……?」

「あぁ、六合だよ。もしかしてリクオくん隠行してる六合も見えるの?」

足を止めた昼に昌浩がやや驚きながら説明してくれる。

「りくごう?」

「そ。じい様の式神の一人。護衛に付いてくれてるんだ」

「妖怪じゃなかったのか」

不思議そうに呟いた昼の言葉に、くわっと甲高い声が返る。

「だぁれが妖怪か!俺達をあんな有象無象と一緒にするな!」

「え?これも妖じゃないの?」

「だっ…!もがもが!」

「一応式神だよ。今は物の怪のもっくんだけどね」

騒ぐ物の怪の口を右の掌で覆った昌浩がにこにこと笑いながら言った。

「そうだったんだ…。僕、てっきり妖怪だと思って普段通り過ごしてたんだけど…」

「普段?それって妖怪がいるのが当たり前ってこと?」

「う…ん」

詳しくは言えないと、純粋に質問してくる昌浩に昼は少しばかり心を痛めながら頷く。

「なるほど、それで何も言わなかったのかぁ」

見えてるのが普通ならわざわざ見えてます、なんて言わないもんね。




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